長崎孔子廟へ(その2)

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前回のブログで、石碑をスラスラ読める。どうして読めるのか?

その続きをお話しさせていただきます。それは、今から45年前にさかの

ぼります。昭和53年3月(1978年)高校を卒業した私は、その年の

5月滋賀県草津市にある「松下電器商学院」(※現在は、松下幸之助商学院)

に入塾しました。ここは、全寮制の施設でナショナルショップ(現在のパ

ナソニックショップ)の後継者を育成する学校です。この学校は松下幸之助

創業者が1970年5月に設立したもので、私は第9期生として学びました。

北海道から沖縄までの全国から約190名が約10ヵ月間、同じ釜の飯を食

べての生活です。

朝は、毎日早朝5時に起床し3キロのマラソン。その後の課業では、みっちり

と、後継者として電器店を経営するために必要な、心構えであったり、知識や

技術を学びました。当時は、四畳程の部屋と2段ベット2対がある4人部屋で

したが、現在では四畳で一人部屋になっています。外出は日曜日以外はできず

日曜日の門限も夜8時まででした。そんな環境の中でいろいろな課業を学びま

した。高校で習っていない(私は工業高校出身)例えば簿記。ちんぷんかんぷん

で苦労した課業ですが。今では、そのおかげで助かっています。

また、心理学。人間の欲求であったりを学びました。「ヤマアラシのジレンマ」

なんか心理学で有名な話ですよね。また、電器店で必ず必要な修理技術もしっか

りと学び、帰ってきてからの修理が楽しみでした。

他にも多くの事を学びました。茶道もあり、裏千家の先生から直接ご指導を受け、

一通りのお点前までできるようになったものです。武道もあり、剣道と柔道があ

りました。そんな、今考えるととても贅沢な教育を受けていたものだと思います

が、中でも商道科」という課業が、この商学院の核であって今回のブログの核

でもあります。(^^)

その風景がこれ

板張りの講堂にコザを敷き、正座で40分間の課業です。

そして、ここで学んだのが東洋の古典である「大学」や「論語」。「大学」は、儒教の経書

の一つで南栄(中国の王朝1127~1279年)時代以降、「論語」とともに四書とされていて

「礼記」(らいき)と言われている儒教の基本的な経典の一編だそうです。

それが、長崎孔子廟にある石碑に刻まれているものなのです。

この「大学」を最初に、毎日声を出して素読します。ひたすら毎日、そうするとそのうち

スラスラと文字を見ることなく全員が読めるようになるのです。もちろん、意味も理解した

上で。そして、この学院を出た電器店の経営者の集まりが「明徳会」で、会議の前には必ず

この「大学」を素読して、基本を忘れないないようにしているのです。そして、ここでの

経験であったり、学んだ事が現在の電器店としての基礎になっていると思います。既に45年

も経ってしまいましたが、当時の同期や「明徳会」の仲間は一生の宝であり同志でもあります。

と、まあそういう理由で、この石碑が読める。ということなのです。の石碑をYouTubeで見つ

けて、行ってみた。という事でした。 お付き合いいただき、ありがとうございました。

ちなみに、うちの店長の拓斗も41期生ですだから、店長も読めます! たぶん(^^;)