長崎孔子廟へ(その1)

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最近、テレビで観る番組が無いときはYouTubeをよく観ます。

ジャンルは問わず、色んな番組があり、ちょこちょこと変えながらつまみ食い感覚です。

そこで、ふと見入ってしまったのが長崎孔子廟で行われていた「変面」。

「変面」とは中国伝統芸能の一つで、変面師が手や扇子を顔にかざした瞬間、お面が次々

と変わっていきます。どのような仕組みで、お面を変えているのかは、「秘伝」とされて

いるそうです。

その「変面」は、またの機会に。。今回の内容は、その映像に映し出された物を見て急に

行きたくなり行ってきた。という話です。

そのあるものがこれ。場所は長崎の中華街の近くにある「孔子廟」(こうしびょう)。

ちょっと見にくいかもしれませんが、石碑です。

この大成殿の正面にあります。

この石碑には儒教の経書の一つ「大学」の全文が刻まれています。

「大学」は、「中庸」「論語」「孟子」と合わせて四書とされています。

石碑に書かれたものがこれです。

大学之道在明明德在亲民在止于至善知止而后有定定而后能静静而后能安安而后能虑虑而后能得

物有本末事有终始知所先后则近道矣古之欲明明德于天下者先治其国欲治其国者先齐其家欲齐其家者

先修其身欲修其身者先正其心欲正其心者先诚其意欲诚其意者先致其知致知 在格物物格而后知至

知至而后意诚意诚而后心正心正而后身修身修而后家齐家齐而后国治国治而后天下平自天子以至于庶人

壹是皆以修身为本 其本乱而末治者否矣其所厚者薄而其所薄者厚未之有也此谓知本此谓知之至也。

そして、これを書き下した文がこちら、

大學の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善に止するに在り。
止するを知りて后定まる有り。定まりて后能く靜か、静かにして后能く安し。安くして后能く慮る、慮りて后能く得。
物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の國を治む。
其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を齊う。
其の家を齊えんと欲する者は、先ず其の身を修む。
其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しうす。
其の心を正しうせんと欲する者は、先ず其の意を誠にす。
其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。
知を致すは、物を格すに在り。
物を格して后知至る。
知至りて后意誠なり。
意誠にして后心正し。
心正して后身修まる。
身修まりて后家齊う。
家齊いて后國治まる。
國治まりて后天下平らかなり。
天子自り以て庶人に至るまで、壹に是れ皆身を修むるを以て本と爲す。
其の本亂れて末治まる者は否ず。
其の厚くする所の者を薄うして、其の薄うする所の者厚くするは、未だ之れ有らざるなり。

いかがでしょうか。これがスラスラ読める人は少ないと思いますが、私は読めます!しかも、見なくても読めます!

どうして読めるのか、それは!

すみません。次回のブログで・・・・